1 父親は、「学生もめちゃくちゃだから、政府がこうするしかないんだ」と話した。
Cが初めて天安門事件について聞いたのは中学生の時、14、15歳の頃だった。ある日、補習クラスの物理の先生が授業の最後に残ったおしゃべりの時間に、1989年の学生運動について話し始めた。
「当時、クラスには約15人がいて、先生が教えるべき内容を全部話した後、下校前に少し私たちとおしゃべりする時間があった。その時、彼は私たちが絶対知らないことを話そうとして、自分がすごい人だと示したがっていたと感じた。」
塾の小さな教室で、ユーモアたっぷりの物理の先生が講義台の前の椅子に座り、「保証するよ、あなたたちは知らない話だって」「聞いたあとは外で他の人に言わないでね」などの言葉で学生たちの興味を引き、「『八九学潮』(八九年の学生運動)を聞いたことがあるか?」と学生たちに質問した。学生たちは皆知らないと答え、物理の先生は簡単に説明し始めた。
「でも彼も詳しくは言わなかった。目を引くものだけ話してくれた。例えば、抗議があって、政府が人をたくさん殺したとか。みんな驚いてたが、真剣に聴いていた。当時、これらの事柄が何を意味するかは分からなかった。ただ自分の知らない、すごい事実のように感じた。」
Cが当時驚いた理由を尋ねると、Cは「まず殺人事件であること自体が驚きだね。それからあと、多分当時歴史を学んでいて、例えば1919年の五四運動は学生たちが起こしたものだったから、抗議やデモといった話題に反応しやすかったと思う」と答えた。
Cの物理の先生は党に対する見解を何一つ表明せず、「自慢」して授業を終えた。Cはこれが物理の先生がした政治に関連のある唯一の話であり、唯一物語を話されたことでもあると言った。しかし、Cは先生に特別な政治的立場や意図はなかったと考えている。Cは繰り返し、「彼はただ自分が知っているけれども私たちは絶対に知らないことを自慢したかっただけで、誰かを「目覚めさせる」意図はなかった」と述べた。
家に帰ってから、Cは母親に八九学潮を知っているか尋ねると母親は平然として「知っている」と応えた。事件当時、Cの故郷では他の都市のように人々が集まって反応することもなく、六四事件のニュースがCの故郷に届くまで数ヶ月も経っていた。Cの母親は事実を知った後も驚いたが、政治的な方向性につなげることはなかった。「彼女はただ多くの人々が殺されて、大変な事件だったと」、とCは再度殺人そのものが人々に与える衝撃を述べた。
C の父親は多くの中国の父親と同様に、ご飯のあとに国際情勢を話すことが好きで、様々な話題について何かしらのことが言える。大学生になった C はある日、自分はまだ父親が六四についてどう思っているかについて知らなかったことを思い出した。夕食後、Cは自分から父親と六四について話しかけるた。するとC の父親は自然に話し始めた。
「学生もめちゃくちゃだから、政府がああするしかないんだ」と、Cの父親は考えた。彼の考えによれば、様々な政治行動に関与してきた鄧小平にとって、学生たちの要求や脅しは交渉の条件にはならないはずだ。「学生側からも政府の面子をつぶす一方で…」Cは父の言葉を思い出しながら、「彼は『仕方がなかった』と」と呟いた。
天安門事件または抗議者と自分自身との関係を問われると,C は天安門事件または抗議者は自分と何ら関係がなく、両親と話した後も周囲の人々と話すこともなかった。彼は、周囲の人々も天安門事件に対して特別な感情を持っていないと考え、六四事件は単なる事実として人々の記憶に存在し、関連する話題を話す際に例として出てくるだけと言う。
「ある意見を表現したいときには、この事柄に言及することがある。例えば、『中国がWTOに加盟する前に西側から反発を受けたのは、おそらく天安門事件が原因だった』といった具合に、引用の例として、または参考用の事実として、共産党をどう見るかの根拠の一つとして使われる。」
父母から聞いた見解以外にも、C はインターネット上から天安門事件に関することを調べた。C は高校時代にグレート・ファイアウォールを越える方法を学び、ウィキペディア上でランダムに記事内リンクをクリックしてジャンプし、他関連内容を調べた。例えば,天安門事件の背景や影響、その他民主化運動等だ。
天安門事件そのものに対してあまり感情移入しなかった C だが,2022 年末白紙運動では自主的に参加し役割を果たした。白紙運動に参加する理由を尋ねられると、Cは、同世代の人々が政治的にどのような活動をしているかを知るためだと述べた。「同世代の人がやるライブを見にいくのと同じようなもの」とCは具体的に補足した。
六四事件に対する見解を尋ねられると、Cは比較的マクロな観点から分析した。「あの頃は時代の風向が大きく変わり、未来がどこに向かうか分からなかった。今のようじゃなくで、0年先の未来も大体見通せる。だから僕は、このような事件は時代の迷いの中で起こることだろうと思う。共産党がそうすることで世界にその立場を示した。しかし、共産党のその仮面を少し早く世界に明かしてしまったため、中国がWTOに加盟するのが遅れたのだろうとも思う。」
広場で起こった出来事について、Cは無力感を表し、政府の行為が間違っていると考えるが、他の結果を思いつかなかった。「これは必然的に起こる出来事だと思う。天安門広場まで行ってしまったら、学生たちは自分たちの立場を弱くすることもあり得なくなる。僕に言わせれば、当時の立場があまりにも強硬だったため、より中庸な提案があっても、広場上の他の学生たちには断られていたのだろう。別にこれは共産党のために弁解するつもりはないけれど。」
今回のインタビューを契機に、CはBBCが六四天安門事件30周年を記念した報道を見た。同時に、彼は2つの疑問を発した。「当時の若者たちは本当にそんなに熱かったのか?」「なぜ絶食や抗議が脅し方法になるのか?」
中共が長年天安門事件の情報を封鎖してきたことについて、Cは「みんなが知っているけど誰も言えない、こういうことが中国では多すぎる」と述べた。最後にCは、「情報の封鎖は共産党にとって修復や進歩に不利であり、将来同じような事態がまた起きるかもしれない」と意見を述べた。